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暗い電気
La Casa Cuencana, クエンカについてからの私の宿だ。

内装全体の色使いも明るく、光もたくさん入る。キッチンの棚や階段の脇など、ところどころに観葉植物が置かれていたり、共有スペースには白っぽいかわいらしい籐椅子が置いてあったりと、“何となく、いい雰囲気”の宿である。

キッチンも広く感じは悪くない。しかし、初日の夜、久しぶりに料理をしていて、気がついた。私もジェフ(主人)も、なぜか無口になっている。普段お互いが少ししゃべらないからといって、どうってことはないのだが(毎日ずっと一緒だからね)この日は、なんとなく気まずい空気が漂い始め、“何か楽しいことを言わなければ!”と変に追いつめられた気分になった。別にけんかをしたわけでも機嫌が悪かったわけでもない。ただ、思いあたるのは、キッチンの電気が“異様に暗い”ということだけだった。薄暗く広がるその蛍光灯の光は、空間全体の色や料理の輝きを奪うだけでなく、私たちの心の中にもその色あせたイメージをじんわりと広げていた。

私たちがついたその日、同じホテルには韓国人のグループも泊まっていた。彼女たちは、夜、誰もいない部屋の電気をつけたまま、時々部屋に戻っては、またそのまま出て行く、ということを繰り返していた。その様子を見ていて、アメリカに住んでいる、ジェフのお姉さん家族のことも思い出した。外から家を見ると子供部屋、夫婦の寝室、キッチン、リビング、全部の部屋に明かりがともっている。が、いざ玄関のチャイムを押してみると実は留守だったなんて事がよくあった。
韓国人もアメリカや日本と同じように物に満たされた生活を送っているんだなぁと良くも悪くも、漠然と思った。

こういうことが意外と当たり前になっている私たちの生活。ここの暗いキッチンは私をひどく悩ませた。これが節電ってことなのか!?本当に考え込んでしまった。この一年、生活の快適さにはあまり恵まれていない私でも、本気で気がめいる明かり。果たして日本人に受け入れることができるのだろうかと思う。薄暗いデパートや薄暗いスーパーで買い物をし、薄暗いキッチンで食事を作る。もしかしたら原子力発電を否定するということはそういう生活を受け入れるということになるんじゃないか・・・そう思うと、とても重く暗い気持ちになった。

そんな事を毎日キッチンに行くたびに思いながら何日か経った。そして5日目の朝、普通に思いついたことがある。
ここは日本ではなくエクアドルの安宿だった!!

人の心を陰気にするこのキッチン、どうやら問題は、明るい暗いという根本的な光量のせいだけではなく、“天井の真ん中からぶら下がった、ただの節電用の蛍光灯”という、なんとも殺伐とした光景にもある、ということに気がついたのだ。節約=節約である。その現実とそこにある精神。それらが何もかもを色あせて疲れ果てたように見せていたのだった。
そして思った。たぶんこれから先の日本、未来に温かい光をずっと灯し続けてゆけるのは優れたアーティストやデザイナーたちなのだと。節約=技術+美しさ。
こうこうと照らさなくても気分のいい光を作り出す、明かりの形や色味。設置する位置や状況別の使い分け。こういうこまやかな精神が普通に存在している日本。だから大丈夫だ!!乗り切れるはずだと。

もしかすると時間やお金のかかる節約になるのかもしれない。それでも英知を振り絞って行われる節約は、単にけちけちすることや人を惨めな気分にすることとは遠くかけ離れたところで存在できるものなのだとあらためて思った。


余談
エクアドル人が経営しているホテルでは、時々節約が徹底しているところがある。それは経営的な面からかもしれないし、もともとそういう生活を習慣的に送っているからかもしれない。たとえば、ホットシャワーは使うとき以外は元がとめてあったり、レストランのガスストーブは私たちがいるときだけつけ、すぐにそのあとは消す。もちろんテレビや電子レンジの待機電力は常にオフ。夜中、エントランスや階段エリアの電気は消されていたり、またはタイマーが取り付けられていて自動的に消えるようになっていたりする。あと、これは特にいいなぁと思ったものだが、一階に薪ストーブが置かれていて2階3階はむき出しの煙突部分で温めるというもの。
まあ、とにかくホテル全体を快適に保とうというサービス精神とはかなりかけ離れた世界である。それでもやっぱり見習うべきところがあるとしたら“まめさ”かな。

さらに余談
こちらの表から疑問は起こった。

原子力発電をなくすと本当に日本は電力不足になるのだろうか?
現在の1年間に生産されるの総電力量はほぼ10、000億kwh。そのうち原子力発電が占めているのはたった30%。原子力発電をゼロにしたとしても現在の日本は年間、約7000億kwhの電力を供給することが可能だ。これはほぼ1990年の日本の1年間の総電力量と近い数値だ。バブル全盛期のあの頃、私たちは電気が不足していると感じていただろうか?今とどれだけ生活が変わったというのだろうか?さらには水力発電などでは年間に供給できる電力の20~30%しか生産していないらしい。なぜなら原子力発電は電力生産の強弱が調節できないため、時によっては過剰に電力を作りすぎるからなのだそうだ。
“原子力発電をなくす=電力が足りなくなる=今の生活が維持できない”なぜかこんな図式が知らないうちに頭の中に刷込まれているのだが本当のところはどうなのだろう?


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[2011/04/16 12:05] | エクアドル | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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